2008年1月15日 (火)

どんど焼き

 今日は「どんど焼き」と呼ばれる小正月の祭りです。正月に使った門松やしめ縄、お守り、破魔矢などを一ヶ所に持ち寄って焼き、その火にあたり、餅を焼いて食べて無病息災を願います。本来なら1月14日の晩または15日の朝に多く行なわれます。最近は消防の関係で昼間に行い、人の集まりを考えて夜に実施されることはありません。

最近では宗教的な意味合いも薄れ、地区公民館の行事として実施されています。少子高齢化のためか、集まる子どもたちもめっきり少なくなっています。当地区では市立資母体育館脇のグランドに青竹を骨格とした櫓を組み、これに火を投じて松飾りなどを焼きます。豪快に上がった火の中に書初めを投じて、高く舞い上がると上達するなどといわれます。火力がすこし弱まった頃を見はからって篠竹などの先に餅を刺して焼きます。

 以前住んでいた仙台ではどんと祭と呼ばれ、宮城県内各地の神社等で小正月の1月14日に行われる神送りの神事として有名でした。各家庭から持ち寄られた正月の松飾りやしめ縄を燃やし焚く炎は「御神火」とよばれ、その火に当たると心身が祓い清められるといわれます。仙台市内では大崎八幡宮のどんと祭が規模も特に大きく、全国的に知られています。この大崎八幡宮は、都会のど真ん中にある鬱蒼とした杉木立に包まれた400年の歴史のある神社です。特に社殿は、華麗な桃山様式の建物で、国宝に指定されています。国宝大崎八幡宮の境内に山のように積まれた正月飾りを一気に燃やすわけですから、警備や消防に携わっている人たちにとって気の休めない行事だろうと思います。でも、三百年以上の歴史を有する全国最大級の正月送りの行事です。神社では松焚祭といいますが、他地域では一般的に「左義長(さぎちょう)」、又はその火の勢いから「ドンド焼き」等とも呼ばれております。1月14日の夜、境内の一角に近郷近在より持ち寄られた門松・注連縄・松飾り等は日没の頃「忌火」により点火され焚き上げられます。また、大崎八幡宮の裸参りは特に有名で、裸で腹に晒木綿、腰にしめ縄を巻き、白足袋・わらじ履き、口に紙をくわえ、右手に洋鈴・左手に提灯という出で立ちで企業や団体の男女がねり歩き、毎年数十万人の参拝客や見物客で賑わいます。仙台に住んでいた頃は近くということもあり大崎八幡宮までカップ酒と正月飾りを持って、友人たちとワイワイ騒ぎながら歩いて参拝したものでした。

 今年一年、家内安全、無病息災でありますように・・・・。

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2008年1月 7日 (月)

すっぺたはっぺた

 三陸海岸の気仙沼市では「スッたのハゲだの言うんでねェ」ということもあるらしく、やはり同様な使い方をするのかと思います。スッペタ=スッたの、ハッペタ=ハゲだ。訛りはありますがほとんど一緒です。青森県八戸市生れの妻と、宮城県石巻市生れの私では言葉も若干違います。そんな思いを神戸新聞の随想に掲載させてもらいました。

 妻は青森県八戸市の出身で、本格的な南部弁を話している。現在でこそ標準語に近い南部弁だが、お年寄りの中には何回聞いても理解できない発音がある。南部弁を「カタカナ」で表記しても、そのままでは発音できない。標準語の発音とは違うし、表記不可能な言葉も多くある。微妙なニュアンスの違い、アクセントも当然ながら違う。

 宮城県石巻市で育った私は、学校での授業はすべてズーズー弁であり、仙台弁だった。テレビが普及し、全国どこでも均一化した言葉が話されていく中、わが母校は相変わらず伝統的な言語を大事に伝えていた。社会や理科、英語、そして国語の授業もズーズー弁、でも不思議と教科書を読むときだけは標準語。ただし、発音は線代弁のまま。

 テレビのドラマでさえ、「東北・・・」という名前があるだけで、必ず字幕が付いたりするが、役者の言葉は確かにズーズー弁なのに、発音やアクセントが明らかにおかしい。その度に、我が家ではその言葉はこう発音するんだとばかり、突然ズーズー弁モードになって会話が始まる。字幕を見なくて理解できるんだと勝手に優越感に浸っているのである。

 南部弁の妻、仙台弁の小生、但馬弁の息子たち。そういう意味では我が家はバイリンガルの集まりである、と言っても過言ではない。東京生まれ東京育ちの人は、標準語しか使えないが、我が家では南部弁も線代弁も但馬弁も標準語だって自由に使いこなしている。小さな文化の違いを理解できない日本人が多い昨今、我が家で飛び交う方言は文化の縮図そのものだと言える。

 言葉が乱れている時代だからこそ、地方の方言を大切にし、日本語をもっと豊かにすべきだと思う。

 ふるさとを離れて30年以上になるので違うかも分かりませんが、小さい頃に「すっぺたはっぺた」とよく言われた気がします。最近になって、妻がああだこうだと口うるさく言うときに、つい「すっぺたはっぺた言うな!」、と切り返すことがあります。でも、この使い方って本当に合っているのだろうかと疑問になるのです。小学生の頃、何か気に入らなくてごねるときに、「すっぺたはっぺたって言うな」と怒られた記憶もあります。こうしてパソコンで打っていると、変換すると勝手に「入力ミス」となるのです。間違っているのではなく、方言で書いているにも関わらず、機械では判読不可能となります。素晴らしい人工知能があったとしても、この微妙な曖昧なニュアンスをどう機械が捉えてくれるのか、疑問が残ります。おそらく言語不明瞭意味不明で、外国語以上に困難な読解作業となるのでしょう。

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2007年1月25日 (木)

伊勢代参・その二

東北生まれなので伊勢代参にはあまり縁がないと書いてしまいましたが、偶然読んでいた「江戸時代・・・」に、何と故郷の宮城県石巻市から江戸時代に伊勢代参したという記録を読んで・・・・・反省。

弘化二年(1845)、石巻市稲井の高木村から吉村太郎一行8人が正月9日に出発し、72日間かけて3月21日に帰着したという記録が残されていました。東海道から西国33ヶ所観音霊場をめぐり、途中、京都や奈良、大阪などの寺社に立ち寄って、復路は中山道経由で善光寺に参拝して帰着したというものです。全行程2300kmの大旅行でした。

旧高木村には縄文時代の高木貝塚などもあり、子どもの頃からよく遊びに出かけた所です。大きな村でもなく、石巻市の中でも市街地から大分離れた所で、ここから伊勢代参していたとは正直驚きでした。それも二ヶ月以上かけて代参し、各地の旧跡や名勝を訪ね歩く姿は、今で言う外国旅行する以上に大変だったことがよく理解できます。

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2007年1月22日 (月)

伊勢代参

東北に暮らしていた私たちにはあまり縁のなかった伊勢代参。今年も地域の代表として当番の隣保から5人が昨日出かけ、今日の夕刻に帰着しました。一行は神社にて拝礼を済まし、隣保の班長から区長へお札を渡します。総代、区役員、集まった氏子の人たち全員へ、お神酒を振舞って解散となります。

かつて伊勢御師と呼ばれる布教師の活躍が伊勢代参を作ったと言われています。布教と言えば聞こえは良いですが、御師の伊勢における仕事は旅館の手配や宴会の世話、夜の歓楽街への案内など怪しい旅行コーディネーターとして活躍し、それで大儲けして立派な家を建てたという話もよく聞くことです。伊勢の神様より商売第一であったようです。

一生に一度は行きたや伊勢参りが庶民の夢となり、往復の旅費は年収に匹敵することから、毎年地域内でお金を集め、そのお金で地域の代表者が順番で参拝することになったのが、伊勢代参の始まりです。

地域の代参として毎年2人分の費用が区から出ます。昔は当然ながら全行程徒歩でしょうから、さまざまな所に寄りながら往復一週間以上はかかったと思われます。帰着予定日には区の役員さんがお神酒を準備して待っています。帰着時間がはっきりした時点で有線放送で各戸に伝えられます。概ね午後6時に戻れるよう近くで調整し、定刻までに車を走らせます。平成になっても変わらない江戸時代のシステム。でも、このシステムを昔の古い慣習だと決め付けずに、現代風にアレンジしてみると若者にとっても楽しいものになる気がします。

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2007年1月15日 (月)

地域デビュー

 この地域にお世話になって早12年近くなります。いつもは妻が地域の窓口になっているせいか、12年も経っていながら意外にも名前と顔が一致しない人たちが結構おります。子どもたちの成長に伴い、近所の知人が増えていく妻の姿。それに相反するように、仕事だけの人間関係だけが増加していく自分の姿。地域参加が大切なことは承知していながら、もう一歩踏み出せない父親たち。

 今年から隣保の班長。隣保そのものの経験がなく、引越し当初はどんな関係なのかさえ分かりませんでした。世代も若い人たちへ徐々に代わり、順番で回ってきました。市広報の月2回配布や町内会費の集金や募金、花見の開催、隣保旅行など、結構煩雑なのです。地域の行事の多さにびっくりします。

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2007年1月13日 (土)

冬の郷土料理 くじら汁

 妻の実家は青森県八戸市白銀です。八戸港や陸奥湊の市場にも近く、近所には水産高校もあり、漁業に従事している人たちが特に多い地域です。昔から白銀といえば元気のいい地区です。白銀の実家に行くと必ずやこの時期になると、郷土料理「くじら汁」が出てきます。脂身を塩漬けした塩クジラを薄く切って鍋でいり、油が出たらゴボウとニンジン、ジャガイモを入れて一緒にいため、キャベツや豆腐などを加えて煮るみそ仕立ての汁物です。

 最近のニュースに20数年ぶりに青森県の給食に「くじら汁」が出たと掲載されていました。くじら汁といえば、青森の冬を代表する郷土料理で、一昔であればどこでも食されていたものです。昔は大きい鍋で作り、温め直して何日も食べたものです。豆腐は手でちぎるようにすれば味がよく染み込みます。そういえば昔はカレーライスにもクジラの肉が入っていた時期がありました。鶏や豚は食べなかったが、クジラはよく食べる身近な食材でした。ある程度の年齢を感じさせる話題です。

 「大物になるように」と食べられてきた郷土料理・くじら汁ですが、八戸市では学校給食にも登場しましたが、脂が多く、特有のにおいがあることからも子どもたちの反応は鈍かったようです。中高年に比べ若年層はくじら汁になじみが薄くなっています。三陸海岸から下北半島にかけての沿岸はクジラの宝庫でした。クジラは漁民にイワシをもたらす神様でもあったと言われます。

 古くは盛んに食べられたクジラですが、食生活の多様化や88年の商業捕鯨禁止などで消費量が激減しました。クジラ汁は親から子、子から孫へと伝えられきた食文化だけに、簡単に絶やすわけにはいきません。伝統の味・くじら汁は、寒さが厳しさを増すにつれて、一段と食欲をそそります。数年前まで時折、宅急便で八戸から送ってくれていましたが、やはり冬を感じさせてくれる懐かしい郷土食です。鯨の脂肪を使い、新鮮な冬野菜と一緒に煮込みながら汁物にしますが、あまり食べ過ぎると鯨の油でお腹を壊すこともありますので要注意です。それでも美味しさのあまり、ついつい食べ過ぎてしまいます。

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2007年1月 7日 (日)

アイヌのイタ

考古学、特に縄文時代に興味があったせいかアイヌ文様にはとりわけ関心がありました。書斎にもアイヌが彫った大きなイタ(お盆)を4枚ほど妻に目立たないように飾ってありますが、手仕事の温もりを感じさせる作品ばかりです。使い込まれた手すれや補修の跡に、アイヌから学ぶべき生きた教えを感じ取ることができます。

今の私たちにとって「モノ」とは何か、豊かさとは何か、そんなものを感じさせてくれるアイヌのイタの温もりです。アイヌ独特の細かなウロコ文様を見ても、刀子で一彫り一彫り彫っていく細かな作業に驚嘆さえ覚えました。家族には何気ないアイヌのお盆かも分りませんが、それを彫り上げるエネルギーを知ったとき、モノを作ることの意味を理解してくれるだろうと思います。そんな思いを込めて、アイヌの人たちが彫った戦前までの作品を集めています。

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2007年1月 1日 (月)

初詣

元旦は家族揃って日本三景天橋立にある文殊堂に出かけています。大晦日は遅くまで息子たちと飲んでいたこともあり、のんびり昼過ぎから出かける準備。暖冬で天候もよく、元旦の雰囲気に欠ける気もしますが、今年初の家族揃ってのイベントです。古いお札や熊手、破魔矢を納めて焼いてもらいますが、昨年は山のように積み上げられていたのが、今年は心なしか少ないようです。

文殊堂の山門から並びますが、参道脇の店がいつもより極端に少ない気がします。門前町の土産物、特に「知恵の餅」の前には列が並び盛況のようです。いつも気になりながら「知恵の餅」を買い求めますが、どこの店も元祖・・・と書いてあります。元祖の店が軒を並べる不思議さ。いったい元祖の定義って何なのかな?

参拝し、社務所で一番大きな熊手を買い、絵馬に願い事を書き、お決まりのコースでお御籤を引きます。

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