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2008年1月23日 (水)

忘れかけていた昔の宿題

 約20年前、仙台に住んでいた頃、宮城県亘理町にある亘理伊達家の墓所を個人的な興味から調査をしていました。初代伊達成実から13代邦実までの歴代・夫人・子供たちの墓所が1ヶ所に集まっており、近世全体を通じて墓所の変遷が分る数少ない遺跡です。休日の大半は幼稚園の長男を連れ、朝から晩まで実測調査を続けていました。実測図・写真・拓本も既に終え、後は整理するだけでした。ダンボール箱で数箱におよぶ資料でした。天候が悪い日は、歩いて5分ほどのところにあった県立図書館に通い、伊達家関係の記録を次から次に読み漁りました。所詮は素人ですので、仕事の合間を見つけての調査に思うように進むわけがありません。しかし、機会があれば何かの形で紹介したいと思い続けていました。

 そのうち、モンゴル赴任の話が舞い込み、家族で赴任することになりました。モンゴルとアメリカのシカゴ勤務だったのですが、いずれ帰国したときの楽しみに伊達家の資料は片付けてしまいました。帰国し、青森県から兵庫県に引越しするときも段ボール箱3箱分の資料は、大事に持ってきました。兵庫ではモンゴル博物館の建設と運営に奔走してきました。昨年8月のモンゴルツアーから帰国後、たまたま書棚を整理していたら、すっかり忘れていた伊達家の資料が出てきました。実測図や古地図などロッドリングで墨入れしていたものが、ドッサリ出てきたのです。当時は今と違ってコピー機の機能もそれほど良くありませんでしたので、職人技のごとくトレースは全て手作業の結果でした。最近では安価で優れた機能があるスキャンも出ており、トレースした図面をパソコンに落とし込む作業だけは簡単に終えました。できている原稿や、バラバラになった原稿も徐々に整理が出来、いずれ、報告書という形で自費出版したいと考えています。ようやく昔の宿題を出せるような気になってきました。何度も何度も諦めかけましたが、継続は力なりです。当時、妹夫婦が墓所全体を平板測量をしてくれたこともあり、きちんとした資料として出したいと真剣に考えています。50近い年齢になり、頭の体操と痴呆症防止を兼ねて、夜な夜なできる範囲でやっています。そんな誓いもいつまで続くものかと、妻の後姿が静かに物語っていました。

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2008年1月15日 (火)

どんど焼き

 今日は「どんど焼き」と呼ばれる小正月の祭りです。正月に使った門松やしめ縄、お守り、破魔矢などを一ヶ所に持ち寄って焼き、その火にあたり、餅を焼いて食べて無病息災を願います。本来なら1月14日の晩または15日の朝に多く行なわれます。最近は消防の関係で昼間に行い、人の集まりを考えて夜に実施されることはありません。

最近では宗教的な意味合いも薄れ、地区公民館の行事として実施されています。少子高齢化のためか、集まる子どもたちもめっきり少なくなっています。当地区では市立資母体育館脇のグランドに青竹を骨格とした櫓を組み、これに火を投じて松飾りなどを焼きます。豪快に上がった火の中に書初めを投じて、高く舞い上がると上達するなどといわれます。火力がすこし弱まった頃を見はからって篠竹などの先に餅を刺して焼きます。

 以前住んでいた仙台ではどんと祭と呼ばれ、宮城県内各地の神社等で小正月の1月14日に行われる神送りの神事として有名でした。各家庭から持ち寄られた正月の松飾りやしめ縄を燃やし焚く炎は「御神火」とよばれ、その火に当たると心身が祓い清められるといわれます。仙台市内では大崎八幡宮のどんと祭が規模も特に大きく、全国的に知られています。この大崎八幡宮は、都会のど真ん中にある鬱蒼とした杉木立に包まれた400年の歴史のある神社です。特に社殿は、華麗な桃山様式の建物で、国宝に指定されています。国宝大崎八幡宮の境内に山のように積まれた正月飾りを一気に燃やすわけですから、警備や消防に携わっている人たちにとって気の休めない行事だろうと思います。でも、三百年以上の歴史を有する全国最大級の正月送りの行事です。神社では松焚祭といいますが、他地域では一般的に「左義長(さぎちょう)」、又はその火の勢いから「ドンド焼き」等とも呼ばれております。1月14日の夜、境内の一角に近郷近在より持ち寄られた門松・注連縄・松飾り等は日没の頃「忌火」により点火され焚き上げられます。また、大崎八幡宮の裸参りは特に有名で、裸で腹に晒木綿、腰にしめ縄を巻き、白足袋・わらじ履き、口に紙をくわえ、右手に洋鈴・左手に提灯という出で立ちで企業や団体の男女がねり歩き、毎年数十万人の参拝客や見物客で賑わいます。仙台に住んでいた頃は近くということもあり大崎八幡宮までカップ酒と正月飾りを持って、友人たちとワイワイ騒ぎながら歩いて参拝したものでした。

 今年一年、家内安全、無病息災でありますように・・・・。

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2008年1月 9日 (水)

焼いた味噌おにぎり

 正月の料理にも飽き、無性に焼いた味噌おにぎりが食べたくなっています。味噌おにぎりみるたびに一緒に遊んだ楽しい子ども時代を思い出すのです。飽食の時代と呼ばれて久しくなりますが、今何が食べたいと言われたら、迷うことなく旨い焼き味噌おにぎりが食べたいと答えるでしょう。
ネットで検索してみても、味噌おにぎりのファンが多いのには驚いています。小さい頃は味噌おにぎりと言えば、何か田舎くさいとか貧乏くさいといったイメージが先行して、旨い食べ物にも関わらず声高らかに言えるものではありませんでした。最近になって年のせいなのか、この素朴なおにぎりが何にもまして最高だと感じるようになりました。

 母親が作ってくれたからなのでしょうか。これまで真剣に考えたことがありませんでしたが、昨年の国内でおきた偽装問題をきっかけに感じることは、おにぎりこそ信頼の食べ物だということです。コンビニおにぎりも嫌いではありませんが、やはり機械よりも人の手で握られたものこそ最高なのです。そこには家族という信頼関係があるからです。直接、母親の手で握られ、素手のまま味噌を塗りつけ、厚く加熱された網で加熱・殺菌されます。ここには作り手に対する信頼関係が介在しているからこそ、美味しく食べられるのだと思います。母親の真似をして味噌おにぎりを作ることもありますが、うまく白焼きができずおにぎりの形が崩れてしまいます。最近になって、網を十分に加熱すると上手く焼けることが初めて知りました。

 焼いた味噌おにぎりの味噌は「仙台味噌」に限ります。宮城県の出身ということもあるでしょうが、米麹と大豆でつくる辛口の米味噌が合うと思います。詳しくは分りませんが、仙台味噌の由来は藩主伊達政宗が、居城である青葉城内に築いた御塩噌蔵と呼ばれる味噌醸造所に端を発すると聞いています。 風味が高く、そのまま食べる事もできるため「なめみそ」と呼ばれることもあるそうです。実家でもかつては親戚分も含めて大量の味噌を作っていました。米蔵の脇に味噌蔵があり、使用する分だけ背丈ほどもある桶から小さな入れ物に分けて使っていました。桶によって三年味噌、五年味噌というように分けられていました。

 そして、仙台で焼いた味噌おにぎりと言えば、やはり定義山です。通称、「じょうぎさん」とか「じょうげさん」と呼ばれていた定義如来で有名な西方寺の境内で売られていたものです。仙台市とは名ばかりで、仙台よりも山形県に近く、仙台駅からだけでも1時間以上も掛かります。定義山では味噌おにぎりだけではなく、三角油揚げや玉こんにゃくも有名でした。こんなことを書いていたら、無性に食べたくなってきました。それだけ仙台市民には馴染み深いものなのです。今年こそ信頼を取り戻す年になってほしいものだと、何でも無い素朴な食べ物「味噌おにぎり」から教えられた気がしました。

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2008年1月 7日 (月)

すっぺたはっぺた

 三陸海岸の気仙沼市では「スッたのハゲだの言うんでねェ」ということもあるらしく、やはり同様な使い方をするのかと思います。スッペタ=スッたの、ハッペタ=ハゲだ。訛りはありますがほとんど一緒です。青森県八戸市生れの妻と、宮城県石巻市生れの私では言葉も若干違います。そんな思いを神戸新聞の随想に掲載させてもらいました。

 妻は青森県八戸市の出身で、本格的な南部弁を話している。現在でこそ標準語に近い南部弁だが、お年寄りの中には何回聞いても理解できない発音がある。南部弁を「カタカナ」で表記しても、そのままでは発音できない。標準語の発音とは違うし、表記不可能な言葉も多くある。微妙なニュアンスの違い、アクセントも当然ながら違う。

 宮城県石巻市で育った私は、学校での授業はすべてズーズー弁であり、仙台弁だった。テレビが普及し、全国どこでも均一化した言葉が話されていく中、わが母校は相変わらず伝統的な言語を大事に伝えていた。社会や理科、英語、そして国語の授業もズーズー弁、でも不思議と教科書を読むときだけは標準語。ただし、発音は線代弁のまま。

 テレビのドラマでさえ、「東北・・・」という名前があるだけで、必ず字幕が付いたりするが、役者の言葉は確かにズーズー弁なのに、発音やアクセントが明らかにおかしい。その度に、我が家ではその言葉はこう発音するんだとばかり、突然ズーズー弁モードになって会話が始まる。字幕を見なくて理解できるんだと勝手に優越感に浸っているのである。

 南部弁の妻、仙台弁の小生、但馬弁の息子たち。そういう意味では我が家はバイリンガルの集まりである、と言っても過言ではない。東京生まれ東京育ちの人は、標準語しか使えないが、我が家では南部弁も線代弁も但馬弁も標準語だって自由に使いこなしている。小さな文化の違いを理解できない日本人が多い昨今、我が家で飛び交う方言は文化の縮図そのものだと言える。

 言葉が乱れている時代だからこそ、地方の方言を大切にし、日本語をもっと豊かにすべきだと思う。

 ふるさとを離れて30年以上になるので違うかも分かりませんが、小さい頃に「すっぺたはっぺた」とよく言われた気がします。最近になって、妻がああだこうだと口うるさく言うときに、つい「すっぺたはっぺた言うな!」、と切り返すことがあります。でも、この使い方って本当に合っているのだろうかと疑問になるのです。小学生の頃、何か気に入らなくてごねるときに、「すっぺたはっぺたって言うな」と怒られた記憶もあります。こうしてパソコンで打っていると、変換すると勝手に「入力ミス」となるのです。間違っているのではなく、方言で書いているにも関わらず、機械では判読不可能となります。素晴らしい人工知能があったとしても、この微妙な曖昧なニュアンスをどう機械が捉えてくれるのか、疑問が残ります。おそらく言語不明瞭意味不明で、外国語以上に困難な読解作業となるのでしょう。

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2008年1月 3日 (木)

足るを知る

 モンゴル博物館には遊牧民の家ゲルが展示してある。内部には生活に必要なモノが置かれ、暮らしを忠実に再現している。見学者の多くから、「これが遊牧民の家なの」「トイレと風呂はどこ」「テレビやパソコンは」等々、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。そして、必ずや最後に「日本人に生れて本当に良かった」という返事が返ってくる。

 足の踏み場もないほどモノに溢れた日本の家に比べたら、遊牧民の生活は何と貧しいものに映っていることだろう。家は人が人として生きるために大切な空間である。経済大国と言われる日本だが、先進諸国の中で最も貧しい住宅事情にある。それなのに、高級家具やステレオ・液晶テレビ・食器棚を埋める百円食器・・・。モノが溢れているため一家団欒の場所さえない。こんなにモノがあるにもかかわらず、いつまでも際限なく買い続ける消費者。日本人は本当に欲しいものがあるわけでもないのに、本当は買い続けるモノがほしいだけなのかも知れない。

 一般的に遊牧民は「自由気ままに草原で暮らしている」というイメージがある。しかし現実は、年間を通じて自然災害にさらされながら、四季に応じた移動を繰り返している。そのためモンゴルの人たちは欲望の少ない民族だと言われる。それは遊牧のためにいつも移動しなければならず、多くを持たないことを生活信条としているからである。

 私たちは幸福というものを、ともすれば外的な条件に求めすぎてきたようだ。そろそろ「足るを知る」ことも必要であろう。中国の老子は「足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず、以て長久なるべし」と言っている。

 人は生き続ける限り、何かを捨て続けなければならないのだから・・・。(神戸新聞掲載)

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