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2007年1月26日 (金)

魯山人になりたい

 博物館の体験室に電気炉があることから、素人ながらに土器やチョットした焼物を作ってきました。他から講師を呼ぶことは簡単ですが、職員一人ひとりが許す限りの時間を活用すれば、我流であっも博物館に備えてある機器を使って日々研鑽することは可能です。簡単に講師依頼することよりも、職員がいつでも誰にでも教えられる技術や技量を磨き、有名な講師を呼ぶよりもユニークな活動になることは間違いありません。

 そんな思いから7年前、夜の空いた時間を活用して陶芸を勉強してきました。プロにはなれませんが、素人でも10年続けたら本物になれる気分だけは味わえます。今のところ作品としたら、玄関に飾ってある香立て、見えない場所に置いてある秋草文の一輪挿し程度です。一回だけ、青森県八戸に残る伝統芸能「えんぶり」の烏帽子を実大で作ったのですが、酔った勢いで誰かにあげてしまい、今どこにあるのか行方不明状態です。

 また、ある博物館のミュージアムグッズとして、発掘された鐙瓦と埴輪のミニチュアを石膏型を取り、約200個ほど型取、素焼き、釉をかけて本焼きというように手間隙かけて作りましたが、施設の人たちはどのように感じてくれているのだろうかと思うときがあります。休暇を利用してあくまでボランティアで応援しているのですが、その結果があまり伝わってきません。施設同士の連携は当り前だと常に話しているのですが、結局、意識して自ら変わっていかない限り何も生まれはしません。

 モノづくりは好きなのに、それを手元に置いておきたいという気持ちがありません。大半は飲んだ勢いで何でもあげてしまい、時折失敗したと後悔することもあります。でも、世の中は不思議なものです。数年前に版画で彫ったカレンダーを来館者に差し上げていたら、それがご縁となってある大きなセミナーに呼んでもらったり、今年も秋の講演依頼のきっかけがカレンダーであったり、どこで何がご縁となるのか本当に分らないものです。

 魯山人の凄さは、書を書いたけれど書家ではなかったし、絵を描いたけれど画家ではなかったし、陶磁器を数多く製作したけれど陶芸家ではなかった。料理においても、プロの料理人ではなかった。偉大なる素人と言われる所以ですが、その才能はそれぞれの領域で思う存分発揮し、ひときわ強い光芒をはなっている。

 そんな魯山人になれなくても、魯山人の気分だけはいつまでも味わいたいと考えています。手が動く限り、次の作品を作りたいと密かに下書きを作り出しています。いつか「魯山人もどき」の酒器で一献傾けてみませんか。いつでも連絡お待ちしています。集まるメンバーはかなり中身の濃い人間ばかりです。「魯山人もどき」の器も状況次第で出てくることもあります。皆様の来宅お待ち申し上げております。

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2007年1月25日 (木)

伊勢代参・その二

東北生まれなので伊勢代参にはあまり縁がないと書いてしまいましたが、偶然読んでいた「江戸時代・・・」に、何と故郷の宮城県石巻市から江戸時代に伊勢代参したという記録を読んで・・・・・反省。

弘化二年(1845)、石巻市稲井の高木村から吉村太郎一行8人が正月9日に出発し、72日間かけて3月21日に帰着したという記録が残されていました。東海道から西国33ヶ所観音霊場をめぐり、途中、京都や奈良、大阪などの寺社に立ち寄って、復路は中山道経由で善光寺に参拝して帰着したというものです。全行程2300kmの大旅行でした。

旧高木村には縄文時代の高木貝塚などもあり、子どもの頃からよく遊びに出かけた所です。大きな村でもなく、石巻市の中でも市街地から大分離れた所で、ここから伊勢代参していたとは正直驚きでした。それも二ヶ月以上かけて代参し、各地の旧跡や名勝を訪ね歩く姿は、今で言う外国旅行する以上に大変だったことがよく理解できます。

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2007年1月24日 (水)

サラントヤー

このブログを読んでくれている友人から、本当に毎晩一杯飲みながら書いているのかと聞かれ、「本当だよー」と答えておきました。いい加減な中身を読んでもらえれば良く理解してもらえると思います。

いい加減だけではなく、モンゴルの有名な歌手サラントヤーの歌を聞きながら、モンゴルの絵を描いています。紹介できるような腕になったら公開したいと思いながら、仏画を中心に書き溜めております。いつ紹介できるか分りませんが、春以降からこんな絵を描いていると公開していきます。

仏画を描いていると、モンゴルポップスの女王サラントヤーが、モンゴルの初代活仏ザナバザルが作ったターラー菩薩の顔とよく似ている気がします。でも、いくら一杯飲みながら描いているとはいえ、菩薩の顔はやはり菩薩なのです。サラントヤーといえば、90年代初頭に「ゴビの夢」で大ヒットし、今ではカリスマ的な歌手になってしまいましたが、数年前に生の声で録音させてもらったことがありました。別れる前に握手をしたら、あれだけのパワフルな音楽にもかかわらず、握った手は氷のような冷たさに驚きました。

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2007年1月22日 (月)

伊勢代参

東北に暮らしていた私たちにはあまり縁のなかった伊勢代参。今年も地域の代表として当番の隣保から5人が昨日出かけ、今日の夕刻に帰着しました。一行は神社にて拝礼を済まし、隣保の班長から区長へお札を渡します。総代、区役員、集まった氏子の人たち全員へ、お神酒を振舞って解散となります。

かつて伊勢御師と呼ばれる布教師の活躍が伊勢代参を作ったと言われています。布教と言えば聞こえは良いですが、御師の伊勢における仕事は旅館の手配や宴会の世話、夜の歓楽街への案内など怪しい旅行コーディネーターとして活躍し、それで大儲けして立派な家を建てたという話もよく聞くことです。伊勢の神様より商売第一であったようです。

一生に一度は行きたや伊勢参りが庶民の夢となり、往復の旅費は年収に匹敵することから、毎年地域内でお金を集め、そのお金で地域の代表者が順番で参拝することになったのが、伊勢代参の始まりです。

地域の代参として毎年2人分の費用が区から出ます。昔は当然ながら全行程徒歩でしょうから、さまざまな所に寄りながら往復一週間以上はかかったと思われます。帰着予定日には区の役員さんがお神酒を準備して待っています。帰着時間がはっきりした時点で有線放送で各戸に伝えられます。概ね午後6時に戻れるよう近くで調整し、定刻までに車を走らせます。平成になっても変わらない江戸時代のシステム。でも、このシステムを昔の古い慣習だと決め付けずに、現代風にアレンジしてみると若者にとっても楽しいものになる気がします。

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2007年1月18日 (木)

博物館のオヤジがんばる

本日からタイトルを変更しました。改めて大層なタイトルを付けたものだと感じながらも、博物館11年目を迎えた心構えとしたいと思います。

同じような題名の映画「看護婦のオヤジがんばる」が1980年7月にありました。青森県八戸市を舞台にした看護士の奥さん、その奥さんを支える家族の物語で、実話をモデルにしたものです。夜勤が続く中で、看護士の仕事に対する情熱を理解してよりよい待遇が出来るように立ち上がる家族の話でしたが、雪道を帰る看護士の奥さんを迎えに行くご主人の姿。身近な風景と話題に家族の心温まるものを感じました。

看護士は病人を護るのが仕事なのに、無理をして自分自身が倒れてしまうこともあります。人の命を守るために自分の命を削り、家庭を顧みれない状況が続いています。看護士のオヤジにとって、妻が苦しむ姿は耐えられません。何度も涙したり笑ったりした、ある地方都市の素朴な生活を喜劇的に描かれた映画ですが、家族に対する優しさも、社会悪に対する怒りも根は一つのように感じられました。それと同時に、四季折々の八戸の風景や種差海岸、港街の雰囲気、沢山出てきて楽しい映画でした。

少々飲んだ勢いで、ブログのタイトルも変えてしまいましたが、この映画のように今年も頑張っていこうと八戸で暮らしていた頃を思い出しました。家族の原点は、今でも青森県八戸市です。でも、子どもたちにとっての原点は、やはりこの町だと思います。妻も今ではグループホームに勤め始め、今夜は夜勤です。次男と番犬ゴン、二人と一匹の生活です。

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2007年1月17日 (水)

阪神・淡路大震災

阪神・淡路大震災から今日で12年。当時、青森県上北郡百石町(現・おいらせ町)に自宅を新築したばかりで、1月10日に震度5の余震があったばかりでした。暮れの12月28日に震度6の三陸はるか沖地震が発生し、年末年始に二度の大きな地震を経験しました。幸い家族に怪我はありませんでしたが、とても年末年始を過ごす状況ではありません。

それから僅か一週間後の17日早朝、6時に目が覚めた妻は大きな地震があったようだとテレビを見ておりましたが、テレビの画面には真っ暗な中にポツリポツリと街の明かりだけが映されていました。徐々に映し出される映像に何がおきたのか理解できないまま、ボーッと見ているだけでした。

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2007年1月16日 (火)

博物館長と行くモンゴル旅行

夏に館長と行くモンゴル旅行が決まりました。大手旅行社の近畿日本ツーリストの企画で、既に飛行機は予約が済み、社内会議を経て詳細が決められることになりました。以前にも少人数の企画はありましたが、今回は飛行機一機250人分です。博物館としても大きなメリットがあり、積極的に広報活動をしたいと思います。田舎にある小さな博物館運営は、一般の人たちが考えている以上に厳しい課題が山積しており、自分たちだけではどうにも身動きが取れません。これまでの10年間は頑張ってこれたけど、これからの10年間どのように運営したらいいのか試行錯誤しています。

学校と博物館、博物館と博物館、いろいろな連携が可能だと思いますが、意識の違いから思うような連携活動ができていないのが、今の博物館です。博物館を利用する人たちが変わらなければという話も身内の中から聞こえてきますが、本当に自分たちは市民に理解してもらう博物館を作ってきたのか、この厳しい時こそ真剣に考える必要があります。時代や市民に迎合しろとは言いません。市民一人ひとりに近づく努力を本当に考え、実行してきただろうか。

博物館が持っている知の財産を活用すべきだと思います。外国を紹介する博物館でありながら、その国の文化を知らない職員ばかりでは真実は伝えられません。まして、その国に真の友人もおらず、書籍や館長から聞いた話ばかりでは国際交流と国際理解をしている博物館なんだとは恥ずかしくなります。カリスマ館長は確かに創業時には必要でしょうが、守勢の時代には時には足を引っ張ることもあります。それを乗り越える職員を期待していますが、未だに出てきません。

10年間、田舎に暮らしながら博物館運営してきたノウハウ、モンゴルの友人たちとの交流、この素敵な財産を一人でも多くの人たちに伝えたいと思います。これまでとは一味も二味も違うモンゴル旅行を一緒に体験しませんか。これまでにも知人が企画する旅行者のコメントを代筆し企画していましたが、今年は自分の声で、自分の体を通してこれまでのモンゴル旅行とは違う旅行を企画していますので、是非とも楽しみにしてほしいと思います。

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2007年1月15日 (月)

地域デビュー

 この地域にお世話になって早12年近くなります。いつもは妻が地域の窓口になっているせいか、12年も経っていながら意外にも名前と顔が一致しない人たちが結構おります。子どもたちの成長に伴い、近所の知人が増えていく妻の姿。それに相反するように、仕事だけの人間関係だけが増加していく自分の姿。地域参加が大切なことは承知していながら、もう一歩踏み出せない父親たち。

 今年から隣保の班長。隣保そのものの経験がなく、引越し当初はどんな関係なのかさえ分かりませんでした。世代も若い人たちへ徐々に代わり、順番で回ってきました。市広報の月2回配布や町内会費の集金や募金、花見の開催、隣保旅行など、結構煩雑なのです。地域の行事の多さにびっくりします。

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2007年1月13日 (土)

冬の郷土料理 くじら汁

 妻の実家は青森県八戸市白銀です。八戸港や陸奥湊の市場にも近く、近所には水産高校もあり、漁業に従事している人たちが特に多い地域です。昔から白銀といえば元気のいい地区です。白銀の実家に行くと必ずやこの時期になると、郷土料理「くじら汁」が出てきます。脂身を塩漬けした塩クジラを薄く切って鍋でいり、油が出たらゴボウとニンジン、ジャガイモを入れて一緒にいため、キャベツや豆腐などを加えて煮るみそ仕立ての汁物です。

 最近のニュースに20数年ぶりに青森県の給食に「くじら汁」が出たと掲載されていました。くじら汁といえば、青森の冬を代表する郷土料理で、一昔であればどこでも食されていたものです。昔は大きい鍋で作り、温め直して何日も食べたものです。豆腐は手でちぎるようにすれば味がよく染み込みます。そういえば昔はカレーライスにもクジラの肉が入っていた時期がありました。鶏や豚は食べなかったが、クジラはよく食べる身近な食材でした。ある程度の年齢を感じさせる話題です。

 「大物になるように」と食べられてきた郷土料理・くじら汁ですが、八戸市では学校給食にも登場しましたが、脂が多く、特有のにおいがあることからも子どもたちの反応は鈍かったようです。中高年に比べ若年層はくじら汁になじみが薄くなっています。三陸海岸から下北半島にかけての沿岸はクジラの宝庫でした。クジラは漁民にイワシをもたらす神様でもあったと言われます。

 古くは盛んに食べられたクジラですが、食生活の多様化や88年の商業捕鯨禁止などで消費量が激減しました。クジラ汁は親から子、子から孫へと伝えられきた食文化だけに、簡単に絶やすわけにはいきません。伝統の味・くじら汁は、寒さが厳しさを増すにつれて、一段と食欲をそそります。数年前まで時折、宅急便で八戸から送ってくれていましたが、やはり冬を感じさせてくれる懐かしい郷土食です。鯨の脂肪を使い、新鮮な冬野菜と一緒に煮込みながら汁物にしますが、あまり食べ過ぎると鯨の油でお腹を壊すこともありますので要注意です。それでも美味しさのあまり、ついつい食べ過ぎてしまいます。

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2007年1月10日 (水)

講演会

来年度の講演依頼が年を明けると同時に舞い込んできます。今年も既に9月までの大きな講演会が数件入っております。多い会場で800人と500人が予定されていますが、私の話でも本当にいいのか困惑してしまいます。

人前で話すことを得意としていないので講演会の依頼がきても、なかなか即答できずにお受けできないことも多々あります。それでも博物館の紹介になればと思い、しぶしぶ受けることもありますが、本音はあまり好きではありません。年間数回程度であればと思いますが、辛いものがあります。

積極的な博物館の運営を考えれば当然受けて当たり前なのですが、受ける以上はある程度の準備も心構えも必要です。講演会直前まで苦悶の日々が続き、終えればその評価を気にしてしまい、どうにもなりません。自信を持ちながら講演会に望んだことがありません。こんな話でいいのかと思いながら、これまで160回以上の講演会に招待いただきました。これからも呼んでいただければ辞退することはありませんが、やはり苦悶の日々は続くことでしょう。

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2007年1月 7日 (日)

アイヌのイタ

考古学、特に縄文時代に興味があったせいかアイヌ文様にはとりわけ関心がありました。書斎にもアイヌが彫った大きなイタ(お盆)を4枚ほど妻に目立たないように飾ってありますが、手仕事の温もりを感じさせる作品ばかりです。使い込まれた手すれや補修の跡に、アイヌから学ぶべき生きた教えを感じ取ることができます。

今の私たちにとって「モノ」とは何か、豊かさとは何か、そんなものを感じさせてくれるアイヌのイタの温もりです。アイヌ独特の細かなウロコ文様を見ても、刀子で一彫り一彫り彫っていく細かな作業に驚嘆さえ覚えました。家族には何気ないアイヌのお盆かも分りませんが、それを彫り上げるエネルギーを知ったとき、モノを作ることの意味を理解してくれるだろうと思います。そんな思いを込めて、アイヌの人たちが彫った戦前までの作品を集めています。

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2007年1月 1日 (月)

初詣

元旦は家族揃って日本三景天橋立にある文殊堂に出かけています。大晦日は遅くまで息子たちと飲んでいたこともあり、のんびり昼過ぎから出かける準備。暖冬で天候もよく、元旦の雰囲気に欠ける気もしますが、今年初の家族揃ってのイベントです。古いお札や熊手、破魔矢を納めて焼いてもらいますが、昨年は山のように積み上げられていたのが、今年は心なしか少ないようです。

文殊堂の山門から並びますが、参道脇の店がいつもより極端に少ない気がします。門前町の土産物、特に「知恵の餅」の前には列が並び盛況のようです。いつも気になりながら「知恵の餅」を買い求めますが、どこの店も元祖・・・と書いてあります。元祖の店が軒を並べる不思議さ。いったい元祖の定義って何なのかな?

参拝し、社務所で一番大きな熊手を買い、絵馬に願い事を書き、お決まりのコースでお御籤を引きます。

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