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2006年10月 7日 (土)

仲秋の名月

空が高くなり秋の訪れを感じる晩です。HPを更新しながら窓の外を眺めると月が青白く輝いています。少々、霞がかかっていますが今夜は仲秋の名月です。仲秋の名月の「仲秋」とは、どういうことかと言うと、旧暦では、7月、8月、9月が「秋」になっていて、8月が、その真ん中であるから、「仲秋」だと言うのだそうです。月見は陰暦8月15日夜の「名月」と9月13日夜の「後の月」を賞美する行事ですので、新暦になると9月の仲秋の名月とか、10月の満月となりました。10月の満月は豆名月ともよばれますが、枝豆や栗、栗団子を供え、栗名月ともいわれています。

 仲秋の名月が中国から日本へ渡来したのは平安時代の事で、醍醐天皇の延喜9年 ( 909)の記録、「太上法皇(宇多)文人を亭子院に召して、月影秋池に浮かぶ の誌賦せしむ」(日本紀略)が最古のようです。後の名月は、同法皇が延喜19年 に清涼殿で催したもので、江戸時代になって民間の間でも盛んとなりました。小机の上に 三方を据え、団子(平年は12個、閏年は13個)や枝豆、里芋、栗、柿などを盛り、 花瓶にススキや秋草をいけて月に供えたといいます。

 本来月見は、五穀豊穣を祭るものでした。まず団子をこしらえ、三方に飾り、季節ものである芋、栗、枝豆、柿、ぶどうなどを供えたのです。この直会(なおらい)として、酒を酌み、宴をはったりもしました。京都では、日本三大観月の名所のひとつ、大覚寺の大沢池で観月の宴を楽しむことができます。なお、関西では、ススキや秋草を供える風習はなく、月見団子も丸形ではな く、里芋の形にとがらせたもので中央部に小豆のあんを巻き付けたものです。仲秋の名月にはススキや里芋とともに月見団子を供えます。この月見団子はしん粉を里芋の形にして蒸した団子に、小豆のこし餡をつけます。芋名月とよばれるゆえんです。

 小さい頃には月見は秋の味覚を楽しむ一つでしたが、大人になってからは観月会だ、なんだと理由をつけては呑む口実。でも、月というとやっぱり月見団子か・・と考えてしまうあたり風情より食い気?団子3兄弟のブームは去ってしまいましたが、団子は今でも根強い人気です。皆さんも団子を食べながら秋の夜長を過ごしてみませんか。

 また、秋といえば宮城野の萩。萩の由来は葉を落として冬を越し、春には再び芽を出すことに由来する「生芽(はえぎ)」の転訛だそうです。小さな葉が歯の形に似ているので「歯木(はぎ)」であろう、などの説もあります。萩は古代、中世の中で最も重要な草花で意匠においても中心的な存在でありました。

 桃山以降は秋の花としては、菊の方がポピュラーとなりました。それでも秋草の図には萩はススキと共に欠くことのできないものであり江戸時代に入ると秋草文様はより絵画的となり俵屋宗達や尾形光琳は名作を今も残しています。庭に多く植えられる、ミヤギノハギは東北地方に自生する品種で紫紅色の花をたくさん咲かせるものです。
 

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2006年10月 5日 (木)

芋煮会

西日本といっても山陰地方の秋は短いので、ボーっとしているとあっと言う間に冬がやってきます。秋の夜長はゆっくり好きな音楽を聴いたり、いつもは書斎に積んでいるだけの本を読んだり過ごしたいと思っているのですが、なかなか思うように実行できません。冷夏だと騒いでいたら、季節はすっかり秋です。秋になり日中も過ごしやすくなってくると、「何かしなくては・・・」と、そんな気持ちがムクムク湧いてきませんか?せっかくの季節なので、思う存分楽しみたいものです。

 また、味覚の秋と言われるように、この季節には様々な秋の味覚が送られてきます。八戸や石巻の実家からは、三陸沖のサンマが浜からそのまま送られてきます。甲府の叔父からは甲州葡萄が送られてきました。出不精の家族なだけに、家に居ながらにして全国の秋の味覚を楽しんでおります。

 仙台に住んでいた頃は、家族や同僚たちと「芋煮会」へと出かけたものです。東北の山形県・宮城県・福島県などで10月頃に行なわれる風物詩に「芋煮会」があります。 この季節になると、宮城県と山形県では河原など、いたるところで芋煮会が行われます。宮城県と山形県は同じ東北ですが、中身が少し違います。宮城県は豚肉を使い、味噌味仕立て。山形県は牛肉を使い、醤油味仕立てに仕上げます。そのほかに入れる材料は同じで、メインの里芋に、こんにゃく、ネギ、豆腐、人参などを入れます。宮城生まれの者にとって、秋になると芋煮会を行うのが恒例です。大人数で、自分たちでつくる芋煮は、とてもおいしく感じ、みんな楽しいものです。なかには、行きの電車のなかで一杯飲んで、目的地に着く頃にはすっかり酔っ払っている輩もおります。

 また、芋煮会は河原でやるのが一般的です。河原でやらなければならない理由は特にないはずですが、芋煮会で使った道具などを洗うのに便利なのだろうと思われます。また女性が同行する場合にはトイレの確保にも留意する必要があります。芋煮会は鍋を火にかけてからできあがるまでにけっこう時間がかかります。さらに辺りの非日常的な風景と相まって、芋煮ができる前から気分がよくなってビールやら日本酒やら呑み始めるのでトイレが近くなります。我が家では仙台市青葉区新川新川の広瀬川沿いの河原に出かけます。JRの奥新川駅からチョット歩きますが、茶店や公衆トイレもある場所で、あの吊り橋のあるところです。

 「芋煮会」とは、西日本や関東の人たちに言わせれば「ただの豚汁じゃない・・・」ということらしいのです。しかし東北地方ではずっと昔から伝えられてきた五穀豊穰を願う人々の特別なお祭りなのです(たぶん)。 さらに、芋煮会は男性が女性をもてなす場でもあります。東北地方では芋煮の一つもろくにできない男は、娘を嫁にやるなどもってのほかというところもいまだにあるそうで・・・・?それにしても芋煮の楽しさを知らない西日本での秋は今ひとつ楽しさに欠けます。

 こんなことを書いていたら、西日本にも芋煮会があることを初めて知りました。四国のどこか忘れましたが、どなたか教えてください。

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2006年10月 4日 (水)

合併で新たな美術館は必要?

 合併によって新たな美術館建設の話題が浮上しています。そもそもこれまでの博物館や美術館の大多数は、市民が望んで作れたものではありません。コレクターや自治体の首長といった、作り手の事情で生まれるケースが大半だと思います。日本の美術館や博物館は従来、国や地方自治体、収集家や企業がそれぞれに作り、支えてきたわけですが、逆に言えば、国民なり市民なりが、どうしても必要だと声をあげた結果生まれてきたわけではありません。昨今の不況が浮き彫りにしたのは、そうした存立基盤の弱さではないのでしょうか。
 なぜ、美術館や博物館が必要なのでしょうか。あまりにも当たり前の問いなのかも知れません。しかし、そこをもう一度見つめ直すことができなければ、どれほど施設が増えたとしても、地域に美術館や博物館が根付いたとは言えないでしょう。たまたま与えられた博物館や美術館を地域に根ざしたものにしてきただけのような気がします。今一度、地域に美術館や博物館が本当に必要か、役割を明確にしないと今後生き残れないことは自明のとおりです。無駄な公共事業だとの批判もあります。

 多くの美術館や博物館が十分に使いこなされていません。それは公共機関である館が、市民が会話を楽しみ、落ち着いて知識を交換できる「公共」の場になっていないからです。博物館は本来、話題の宝庫であるはずです。収蔵品の背後には人の物語が、展示方法には明確な意図が隠されています。会話が弾まないのは、利用者にそのことすら気づかれず、共感を呼ばない遠い場所になっているからだと思います。学校でもない、遊び場でもない楽しい空間。博物館こそ、押し付けではない豊かな学びの場となり得るものだと確信し、合併によって新たなハコモノを作るよりも既存施設のソフト面の充実を図る施策を推進してほしいものです。

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2006年10月 3日 (火)

秋の夜長

「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」。秋をあらわす言葉は四季の中でも一番多いようです。そして、秋を好む人たちが多いのも事実でしょう。今年は冷夏に泣かされ、果物泥棒が横行した年で、農家にとっては大打撃の一年です。食卓に並ぶ野菜も高騰し、心地良く冷えてきた秋風とは裏腹に、家庭の懐事情も寒々としたものです。

 田舎暮らしをしていると、人は秋を自然の移ろいの中で見つけます。青く澄み渡った高い空、爽やかな風、頭を垂れた稲穂、いわし雲、虫の音などです。また、人によっては阪神タイガース優勝の秋であったり、実りの秋、食欲の秋、味覚の秋、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋、天高く馬肥ゆる秋だったりします。誰の言葉か知りませんが、「秋は人を詩人にする」と言われ、我が家の庭先で小さな秋を見つけたかと言えば文学青年になったりするものです。夏に比べて日暮れが早まったこと、これから迎えるであろう厳しい冬への誘いが人生と重ねられるのでしょうか。人の気持ちや体は適度なバランスを保ちながら生きており、そのバランスが崩れると心身の病気になります。そんな調和作用をしてくれるのが、秋の意味合いなのでしょうか。だとすれば、いい音楽や読書の秋と言われる理由が理解できます。

 文学的には一年の中で秋が一番夜が長い季節として扱われます。現在であれば12月の冬至なので、本来は冬なのでしょうが・・・。暖房の発達していなかった昔は比較的早く就寝することから、すごしやすい季節の中では秋の夜が一番長いことになります。せっかくの季節をダラダラ過ごさせないようにするため、読書の秋だ、芸術の秋だと称しては何らかの文化的活動をしなさいとばかりに秋に大合唱が起きるのは何故なのでしょう。本来、文化的な活動に季節は関係なく、いまや生涯学習活動は年間を通して盛んに行われています。

 そもそも11月3日が文化の日として制定されたことも理解しにくいことです。一般的には様々な文化歴史に親しみ、健全な心身・情緒を育む日として祝日になっており、 この日全国各地では賑やかな文化の祭典が行われます。昭和23年7月20日に祝日法が公布され、11月3日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」の趣旨によって祝日「文化の日」となりました。若い人たちはあまり興味ないかも知れませんが、実はこの日は明治天皇の誕生日にあたり、戦前は「明治節」と呼ばれていました。戦前まで天皇誕生日は「天長節」と呼ばれ、祝祭日とされていました。それが、戦後になって11月3日は「文化の日」として祝日のまま残されたのです。明治神宮では、「近代日本の礎を築いた明治天皇の遺徳を偲ぶ意味でも、11月3日の明治節の精神を永久に子々孫々へ伝えていきたいものです」とコメントしていますが、本来の「文化」とは何ら関係ありません。

 そんなことより家族でゆっくりDVD鑑賞でもしながら、秋の夜長を過ごすほうが健全な気がします。芸術の秋だからといって、敢えて劇場に出かけて素晴らしい芸術に触れることを奨励するほうが俗物的な気がします。芸術感賞に比較してビデオ鑑賞は俗物的だと逆に酷評されるかも知れませんが、好きな時間に好きな映画を家族でtres bien !(トレビアン!:すばらしい!)と言いながら気楽に観ることが、文化的とは呼ばないのでしょうか。くれぐれも「文化的」と呼ばれる言葉に惑わされないよう気をつけたいものです。こんなことを書いていたら夜も大分更けてきましたが、やはり秋の夜は長いものです。

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2006年10月 2日 (月)

秋の味覚と但馬の風物詩

秋の深まりを告げるような肌寒さを感じさせる但馬地方ですが、この季節になると但馬の風物詩ともいえる雲海が見事です。朝早く目覚めると外は一面の霧です。しばらくすると、徐々にその霧が流れ始め、但東の山並が見えてきます。山里ならではの絶景です。但東の雲海スポットとしては高龍寺や郷路岳が有名です。この霧や雲海のメカニズムは晴天に伴う放射冷却現象で、地上の熱が奪われるためだそうです。一般的には未明から早朝にかけて次第に発達するようで、今日も今秋一番の冷え込みで見事な雲海に包まれた但東でした。

 また、秋の味覚といえばマツタケです。東北生まれの私たち家族にはそれほど馴染みがある味覚ではありませんでした。東北にもマツタケはあるのでしょうが、関西や西日本のように当り前のように店頭に並ぶことはそう多くありません。まして、土瓶蒸し用の器が至るところで売っている光景をみると、やはり東日本とは明かな違いを覚えます。それだけ一般的にマツタケを食する人たちが関西や西日本には多いのでしょうか。確かにマツタケの産地で有名な丹波篠山も近くに位置していますし、近年では外国産のマツタケも安価で店頭に並ぶことも多くなりました。篠山の友人がマツタケを出荷しており、キロ6~7万円程度と話しておりました。今年は豊作ですが、気候の関係で昨年より若干遅れて出荷しているそうです。豊作といってもこれは京都府やそれに近い場所だけで、今年の雨不足や残暑の関係で岩手県では例年の1/10程度、山が乾いて、9月に暑さが戻ったのが痛いと、産地の口はかなり重たいようです。

 この辺のマツタケは形も傘を開いたものが美味しく、量的にもボリュームがあって焼いてもいいし、すき焼きに入れてもいいし、マツタケ三昧を味わうには格好のものだそうです。最近の新聞紙上で世界各国から日本にマツタケが集まると書かれていましたが、中国や韓国・北朝鮮は知っていましたが、それ以外の国からとしてカナダ・アメリカ・メキシコ・ロシア・トルコ・ブータン・モロッコ、そしてニュージランドに近いトケラウ諸島からも輸入されているのです。まさに世界中のマツタケを日本人の胃袋に入れている様子が分かります。これを日本人一人当たりで計算すると、マツタケ御飯一杯分(30グラム)にしかならず、やはり貴重品には違いありません。今年は輸入物も品薄状態で、昨年よりも高値が続いているようです。今や国産のマツタケは全体シェアの5%しかなく、貴重品中の貴重品になりつつあるようです。それもそのはずで、人口栽培が困難で、かつ天気まかせとあっては、当り前かも知れません。近年はマツタケ山も整備されつつあるようですが、それでもデリケートなマツタケだけに、今後も高嶺の花は続きそうです。

 今年は町内の方から夫婦で呼んでいただき、マツタケ三昧の一日でした。焼きマツタケ、マツタケを贅沢にいれたハモ鍋、マツタケ御飯というように、原形をとどめているマツタケを拝みながら食しました。大きさ、香り、鮮度、歯ごたえといい、三拍子も四拍子も揃った地元産のマツタケでした。また、地元でもマツタケ採りの名人と呼ばれる方から2回も頂戴し、天麩羅にしたり、マツタケ御飯にしたりとこんな年は初めての経験です。いただいた方たちに感謝するのは当然として、今年も恵みの秋を迎えられたことにも感謝する日々です。

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2006年10月 1日 (日)

西洋美術がおもしろい

彫刻家淀井敏夫の作品が玄関に飾ってあります。わずか20cm程の小さな母子像で、なかなか気に入っている作品です。

個人的に様々な企画展を見学に行き、その歴史的背景や絵の魅力について教えられ、一寸したことをきっかけに西洋美術が面白くなってきました。もともと西洋美術といえば、背景になっているキリスト教を知らないとよく理解できないなどと勝手に信じてきた傾向があります。特に聖書の世界を身近に感じていない社会環境だけに、なかなか馴染みにくいものがありました。美術の解説において専門用語が乱発され、宗教的な解説が書かれると逆に引いてしまう傾向にあったのも事実です。

全ての美術館で西洋美術がおもしろいという意味ではありませんが、一寸したきっかけで西洋美術がおもしろくもつまらなくもなってしまいます。美術の教科書などでお馴染みの名画は知っているけれど作品のテーマやそこに隠れている謎、物語などは意外と知らなかったりします。多くの西洋美術作品のテーマとなっているギリシャ神話、キリストのストーリーや作家・作品の特徴などわかりやすく解説してくれると、それだけで美術を普通に見るだけで十分楽しめて価値があり、更に楽しめるというものです。価値観の多様化や個性化が進む中で美術の分野においてもそういった社会の動きに対応しうる柔軟な感性が求められます。そういったニーズに応えるためには、私たち博物館・美術館職員がまず基礎を固める必要があります。美術を造形という観点から総合的にとらえ、創造的感性を広げた上で、さらに高度な分野へと興味をつなげていきます。美術の見方は、個人の主観によるところが大きいと言われます。確かに、その考え方は間違いではありません。しかし、そこに描かれた時代や歴史背景を踏まえながら見ると、全く別な見方ができるかも分かりません。

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