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2006年9月27日 (水)

山里での博物館運営

私が勤務している博物館は、鉄道も無く、バスの便数も極端に少ない山里に建てられています。職員は6名で構成されており、勤務の関係で通常は3名ないし4名で働いております。周囲を山で囲まれており、自然環境は抜群ですし、日常の疲れを癒すにはのんびりとした雰囲気で、博物館が置かれている環境のことを考えれば申し分のないところです。ただ、入館者数だけを気にする博物館であれば、田舎よりも都会に作ったほうが都合が良いことは衆知のとおりです。特に交通アクセスの悪い地域に立地していると、それだけで不利になってしまいます。これに自然環境が厳しく、例えば冬場に雪が多い地域などでは尚更です。雪の多い季節は、朝8時半に出勤してから約1時間以上は除雪作業に追われてしまいます。委託業者によって広い駐車場などは除雪してもらいますが、大きな除雪車が入れない長いアプローチや玄関、職員通用口というような場所は職員で除雪しなければなりません。西日本の博物館の中で小型除雪車を保有している施設も珍しいのではないかと思います。もしかして当館だけでしょうか。初夏になり、ツバメが飛ぶようになると、開けていた窓からツバメが侵入して、トレースしていた図面の上に糞を落とされたり、ムカデが出て来たりというように、もはや自然博物館の状況を呈しています。また、博物館の周囲に張られている芝生や樹木の手入れもかなり重労働です。草取りはときどきであれば心地よいものですが、約8500平方メートルもある敷地内の芝生を春から秋まで管理していくことは誠にしんどいことです。町立の小さな博物館ということもあり、毎日の掃除から敷地の草取り・トイレの掃除・館内案内・展示企画・文化財保護・発掘調査・国際交流・出版物の発行というように、およそ役場職員らしからぬ多岐多様に渡る仕事に忙殺されています。博物館は表向きは暇そうでいいように見られがちですが、実際には表から見えにくい仕事が大半だといっても過言ではありません。私自身は好きな仕事なのでどんなことにも苦にならず楽しくやっていますが、職員にとっては大変な職場だと痛感しています。愚痴ばかりいってもしょうがありませんので、具体的な成果を出しながら、より理解者が増えていくよう努力したいと思います。

 最近、博物館を運営しながら思うのですが、文化の地方への分散は今後ますます積極的に図ってほしいと考えています。とはいえ、現実は都会から地方に向かって流れてきます。文化に限らず、すべての物事が都会を発して、地方を着とする、この思想に私たちは心から反省したいと思います。良いものは、良いのです。たとえ、どんなに悪くても、それが都会発なら良いものになってしまい、どんなに良いものでも地方発なら悪くなってしまうような、今の中央集権的な発想の中に真の文化の向上はないのではないかと思うこの頃です。ただ残念なことに、どんなに良いものができても、それが地方から全国へ逆流することは、今の世の中では至難の技なのかもしれません。80年代以降は地方の時代と、政治家の方たちは口を揃えて話しておりました。でも、彼らは話を繰り返すだけで、何一つしてくれるわけではありませんでした。真の地方の時代・地方の文化は、地方に住む私たちが努力して作り上げていくべきものだと思います。そう言う意味では、流れに逆らう・・・流れを逆流させることの難しさを、強く感じています。ただ、うれしいことに少しずつですが、そうした流れが微妙に変化してきているのを肌で感じてくるようになりました。

 10年前に開館した山奥の博物館ですが、かなり無理をしながら開館までこぎつけたときと違って、最近では冷静に自分たちが置かれている環境についても考えることができるようになりました。今では、都会の博物館と比べてみてもそんなに遜色はないと自信をもっていますし、ちゃんと地方だってやればやれるのだと私たちは考えています。私たちだけでなく、この博物館は私どもの呼びかけに応じて集まってくれた国内外の関係者が作り上げた、本当に手作りの但馬生まれの博物館なのです。著名な学者や展示業者は一切参画しておりませんし、自分たちの頭で考えたものを形として作り上げたというのが現状です。これだけでは当然満足いくものではありませんでしたので、体験コーナーを設置した施設を増築する予定にしています。8月半ばには開館から数えて9年10ヶ月で30万人目の来館者を迎えたところです。

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2006年9月17日 (日)

昭和30年代という時代

漫画家・西岸良平氏の作品で「夕焼けの詩」があります。学生時代によく読んでいましたが、就職して、結婚して子どもたちが生まれ、あくせく働く日常も年とともにようやく落ち着いてきました。

「ビックコミック・オリジナル」で連載され、そのほのぼのとしたあたたかい絵とストーリーで多くのファンを持つ作品だ。戦後から高度経済成長期に入るまで、とくに昭和30年代の、ごく普通の人々の生活が描かれていて、街頭テレビ、チンチン電車、オート三輪、けん玉、紙芝居のおじさん、見せ物小屋の手品師など、当時の風物も満載です。この時代は、まさに私の少年時代。

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2006年9月15日 (金)

博物館の使命とは

秋です。8月末までのうだるような暑さが、一夜にして真夏から初秋への空気に変化したことが分かります。

初めて博物館と呼ばれる施設に出掛けたのは、今から36・37年前になります。生まれた宮城県石巻市には博物館や美術館がなかったので、確か中学一年の秋の遠足だったように覚えているが、記憶の隅に残っているのは物館前にあった伊達政宗の胸像くらいである。中学二年になり、隣町の公民館で開催されていた「宮城県の考古資料展」なる展示会を中学の社会科教師が休日に引率してくれたのです。それまで日本の歴史とは全く関係ない暮らしをしていたと思っていたのに、こんな身近な場所にこんな素敵な歴史があったことを知り、いつしか考古学の世界へと引きづり込まれてしまいました。それからはまさに考古学少年そのものでした。暇さえあれば勉強もせず、自転車で遺跡通いの日々。
大学で建築史を学び、4年間発掘調査に明け暮れる毎日でした。その後、博物館に勤めたいという夢は破れ、考古学とは無縁の職場に落ち着きました。発掘調査の現場で知り合った女性と一緒になり、結婚して子供が生まれ、博物館や考古学も忘れるサラリーマン生活を送っていました。与えられた仕事を他よりも要領良くこなす毎日に腐心していた時代でした。歳を重ねるうちに階級も給料もけして不満などもなく、都会の中でそれはそれで楽しいサラリーマン生活を送っていました。

一寸したきっかけで、転職して海外赴任することになった。そして気がついてみると、友人たちよりも大きく回り道しながら、今こうして博物館を運営している。36才から文化財の仕事を担当しながら、博物館開館準備に携わり12年になった。今年は博物館開館10周年を迎え、4月15日から7月9日まで「モンゴル大恐竜展」を開催しました。既に、もう10年なのかと感慨深いものがありますが、夢中で走り続けてきた10年でした。国内最年少の公立博物館副館長・館長として自信のない日々を送っていたのが、まるで昨日の事のように思い出しています。どこに行っても、「そんな若い人だったのですか」「館長さんの息子さんですか」と呼ばれていたのが、最近ではそんなことも少なくなってきた。

今、私たち博物館職員は何をなすべきか、何ができるのか、博物館の使命とは何か、このブログを通して綴っていきたいと考えています。

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2006年9月10日 (日)

博物館の通信簿

 近年、「博物館評価」に対する関心の高さがうかがえます。評価の問題がクローズアップされると、すぐに「評価」は切り捨てのための材料になると考える人たちも現実に多いようです。評価というと成績表や考課表などが思い浮び、否定的なイメージがつきまとうが、しかし本来、評価というものは、目標が設定されたプログラムの一部であり、それ自体が目的ではありません。今の評価のあり方は利用状況を数量化するための方法で、これだけではまだまだ不十分です。
 博物館に対する見学者の評価は、「見やすさ」「コレクション数」「お勧め度」をそれぞれ評価するもので、人それぞれの好みにもよることが多いようです。そして、あえて交通費や手間をかけて出掛けて行く価値があるかどうかです。施設側としては、博物館の機能は展示・教育普及・資料収集保管・調査研究の4つに分けられて評価される傾向があります。
 博物館法が公布されて52年なりますが、この間に日本の博物館は外国のように成熟した博物館になってきたでしょうか。欧米の博物館は市民生活の中に入っているのに比べ、日本の博物館はまだまだ「敷居が高い」という声が聞こえます。アメリカでは博物館に対する評価は、既に100年近い歴史があります。

  数年前、東京都議会で都立高尾自然科学博物館の廃止問題が取り上げられました。高尾山のふもとにある自然科学博物館は、多くの都民が訪れ、高尾山自然研究路など豊かな自然をフィールドに、自然講座や自然観察会など、自然への関心を広げる取り組みを行っています。専門家の協力を得て、奥多摩・檜原などの森林調査も行っています。都が試行した行政評価結果報告書では、この博物館の評価を行っていますが、所管局の一次評価は、必要性は今後も増大していくものと思われる、事業の継続が適当であると存続の立場を示しています。ところが、総務局が下した二次評価は、地域性が強い小規模な博物館を今後も所有し続ける意義は薄いとし、廃止か休止と、極めて冷たい評価となっています。しかし、この博物館の利用者は、高尾山を訪れるハイカー、学校の遠足など、中高年から小学生に及び、地域も全都に及んでいます。無理やり廃止するのではなく、むしろ緑のボランティアや子どもたちの自然体験の拠点として拡充することこそが、地球環境保全の流れに沿ったものとなることさえできる気がします。立場によっても評価が変わってしまいます。

 各博物館は評価と運営が表裏一体ものとして早急にシステム化する必要があります。当然、博物館の活動が好き勝手にやっていいわけがありません。法人化とともに、説明責任が必ず求められます。活動の説明責任を保証するためには、評価が行われなければなりません。活動の独自性を保ちつつ、説明責任を保証するためには、今までよりキチンとしたマネジメントも要求されます。博物館は利用者の姿を知り、必要があればその実状にあった改善をし、博物館が提供できる質を高めていく必要性があるでしょう。

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2006年9月 9日 (土)

田舎の小さな博物館ものがたり

 普通であれば好きな本を読んだり、家族と一緒にのんびりと旅行に行ったりして、平凡なサラリーマンで終わるはずだったのに、いつのまにか博物館の道に入ってしまいました。ひとりの中学校教師との出会い、モンゴルとの出会いがわが人生を思わぬ方向に向けさせてしまいました。人生とはいったい何が起こるか分からないものだとしみじみ感じています。しかし、そのおかげでどのくらい素敵なミュージアムと出会い、またどのくらい素敵な人々に出会ったのか分かりません。このブログに収めた様々なエッセイや博物館を開いてしまった経緯、そこで経験した様々なエピソード、博物館を通して感じた個人の思いなどを綴っています。あらためて読み直してみると恥ずかしい文章のオンパレードで、穴に入りたい気持ちです。しかし、博物館にまったく関係のない世界から足をいれ、ミュージアムが「現代の私たちのあるべき姿、ひいては 人間社会の進むべき将来を考えていく施設」だということを知った私のささやかな経験をブログを通して知ってほしいと念じてきたところです。

 モンゴルで生活していた頃、部屋に飾る一枚の絵を求めてアートショップに通いました。モンゴル草原が緑に萌え始めた季節を描いた作品が気に入り、額のないままモンゴルの自宅玄関に飾っていました。その後も殺風景なモンゴルの冬を過ごす楽しみとして、部屋の印象を変えるために油絵や水彩を求めてウランバートル市内の画家宅を訪問しました。当時は、個人的に絵が好きというわけではありませんが、モンゴルでの生活をエンジョイするための手段だったのかも知れません。徐々に画家や博物館・美術館関係者と知り合ううちに、日本人のモンゴル文化に対する認識の低さを痛感しないわけにはいきませんでした。気がついた時には個人の家で保管できないほどの民族資料の山に家族から呆れかえられる始末でした。
 なお、私は博物館について専門的な勉強をしたわけでもなく、学芸員の資格を有しているわけでもありません。そんな私が博物館を開くことになってしまったのですが、その経緯や様々なエピソードを、そして博物館を通して考えたことなどをこのホームページに綴っていますので是非とも参照していただければと思います。ともあれ、、田舎の小さなモンゴル博物館にもそれなりの役割があり、生涯学習の拠点施設であり総合的な学習の場としての博物館の姿があります。

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2006年9月 5日 (火)

ラジオ深夜便

NHKのラジオ深夜便。全国で毎晩200万人以上の人たちが聴いているという深夜番組で、朝の5時までやっています。リスナーはお年寄りの人たちが中心のようですが、夜中に働きながら聴いている人たちも結構多いのです。ラジオ深夜便は、午前0時台に朗読、健康、趣味、旅ガイドなど新コーナーもでき、午前1時台には「民話」もあり、どちらかというとお年寄りを意識した番組構成となっていますが、若い人たちも結構楽しんでいます。この6時間の間、リスナーからの手紙も数多く紹介されるので親しみやすい番組になっているのでしょう。

 家の外は真っ暗で、家の裏にあるグループホームの事務室と、点滅している信号だけが唯一の灯りです。きっと誰も起きていない時間帯ですが、もしかすると布団の中にもぐりこんで聞いている近所のお年寄りもいるかも知れません。
 日本も高度成長期に入り、次第に夜型中心の生活になり、テレビ時代、ビデオ時代、更にパソコン時代となってラジオはかなり地味な存在。かつての深夜放送はニッポン放送が昭和30年代からやっていましたが、だんだん運転業務とか受験生とか一部の人にしか聴かれなくなっています。NHKのラジオ放送は午前0時で終了していましたが、昭和天皇が危篤・崩御という前後から24時間ラジオとして流されるようになりました。そんなことから生まれた関係で、深夜便はたしかに聴くというより、流れているという感じがします。夜の時間を流れている時間そのもの、夜というものの象徴のような気がします。そして、静かな流れゆく夜の時間に、やさしい、暖かい言葉をほしいと思う人が急激に増えてきたようにも感じます。

 このラジオ深夜便の「25時のインタビュー」に出演させていただきました。25時のインタビューは関西で文化関係で活躍する注目の人物へのインタビューという触込みで、NHK大阪放送局が製作しているものです。博物館の応接室で取材されたものを、編集して約1時間の番組になっていました。当日は聞き逃してしまい忘れていたのですが、しばらくして全国から電話や手紙を頂くようになりました。いずれもお年寄りの方ばかりで驚いたのですが、日本は本当に高齢化社会なのだと実感しましたし、手紙にはインタビューの感想はもちろんのこと、お年寄りご自身の趣味や生き甲斐、日常感じていること、静かな心境、悩みの一端などが綴られておりました。青森県から兵庫県へのアイターンに関する話、オープンしたばかりの博物館運営を心配してくれたり、激励の一文を寄せていただきました。テレビと違い、ラジオは声だけの世界なのに、心に伝わり、行動させる力があります。
 インタビューの大半は博物館建設のエピソードや家族で暮らしたモンゴルでの生活、モンゴルとの文化交流です。自分の人生に引き付けて聴いていただけたら幸いです。
 以前の朝日新聞に次のようなことが掲載されていました。ラジオの深夜放送を聴いている人の多くが、50・60代のシニア層になっており、特に午前3時から5時にかけてのリスナーの約6割も占めているそうです。シニア層が深夜にラジオを聴くきっかけがラジオ深夜便で、当初からシニア向けを意識し、「ゆっくり話す」「静かな音楽をかける」などの方針を徹底。プロデューサーは「年を取ると眠れないという人が多い。将来に不安を覚える人もいる。そんなときに、音に接したいと思っていた人がたくさんいた」と話しています。

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2006年9月 3日 (日)

二極化する博物館・美術館

 最近、博物館や美術館を取り巻く環境が大きく変化してきました。運営の厳しさはどこも変わりませんが、ここに来て国や県レベルの大規模施設において、メガトン級の企画展が開催されている。これは展示の中身もそうであるが、予算を見ればまさにメガトン級です。ある県立美術館の副館長は、広告費を含んだ予算規模の大きさ、日の入館者数1万人以上というような数の論理で自慢します。この大型施設はいったい誰のための施設なのだろうかと疑問を感じてしまうほどの自慢のオンパレード。こうした数の論理に押され、自前の資料もない貸し館状態が増える中、博物館・美術館が持つ本来の使命を見失っていることに気が付いていません。まさに一部バブル状態であり、いずれこの大きなツケは私たち国民に大きくのしかかって来ることは自明のとおりです。

全国にある博物館や美術館の大半は小規模の施設ばかりです。乏しい予算の中で学芸員や職員たちは博物館や美術館が持っている本当の面白さや楽しさを伝えようと意欲的に取り組み、質の高い企画展を開催してきました。地道な調査や研究の成果を市民にいち早く還元し、地域に根を張った活動を実施しているところが多い。しかし現実は規模の小さな施設では到底大規模施設に対して太刀打ちできない大きな壁がある。交通アクセスにも恵まれず、季節によってはほとんど入館者も来ないときもあり、有名な資料も借りられず大型動員なんか夢のまた夢といったところさえ多くあります。

日本の社会は急激に富裕層と貧困層の二極化が進み、かつての総中流意識を持つ国民はほとんどいません。全国の博物館や美術館も日本社会と同様に、新聞社などマスコミと共催した大規模展が開催できる貸し館状態の施設と、地道で良心的な活動をしているわりには入館者が増えない施設に分けられます。地方の博物館は20年前に冬の時代を迎え、10年前にはさらに氷河期となり、現在は風前の灯状態です。これからの博物館はどんくな時代に突入するのか想像さえできません。

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2006年9月 1日 (金)

七つ森

「七つ森通信」を作る際、名前を借用した本家(?)の「七ツ森」です。七ツ森とは、笹倉山・松倉山・撫倉山・大倉山・蜂倉山・鎌倉山・遂倉山を総称したもので、仙台市の北部に位置している宮城県黒川郡大和町にあります。仙台平野の中に忽然と人工的な山が見え、仙台からですと国道4号線を北上すると道路左側にピラミット型の七つの山並みが見えます。最高峰の笹倉山が506mと低く、一つひとつは何の変哲もない小さな山なのですが七ツ揃った山並みになると景観は一変します。古くから巨人が一峰ずつ作ったという民話が伝えられています。360度の大パノラマが楽しめる撫倉山頂上は心ゆくまで大自然の景観を堪能でき、七ツ森の各頂上に祀られている薬師如来石像を一日でお参りする「七薬師掛け」は、健康を兼ねたハイキングは無病息災が叶うと言い伝えられています。
博物館前に鎮座している七つ森は本家のような雄大なものではなく、我が家から見るとコブが七つ連なったように見えることから、本家「七つ森」に倣い勝手に呼んでいるものです。

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